mixiを利用することを「mixiをやる」と表現する人が多いことが気になる。ブログだと「ブログを書く/書かない」Youtubeだと「Youtubeを見る/見ない」Googleだと「検索する」と具体的な動詞がくっついて表現される。

mixiでやれる」ことは、自分の日記を書いたり、他人の日記を見たりコメントをつけたり、コミュニティでクネクネしたり、旧友、はたまた赤の他人と仲良くなったり といった「誰かとコミュニケーションすること」なんだけど、これらを一言であらわす適当な単語がないから「やる/やらない」という抽象的な言葉で表現されるのかなーと思う。


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あぁ ところでmixiに絶望する人はたくさんいるけど、本当の絶望の対象とすべきなのはmixiのシステムじゃなくて、mixiに持ち込んだ人間関係そのものが絶望的なんじゃないの?とツッコミたく思うんですが、さてどうでしょう。


追記:ブックマークでたくさんコメントをいただきました。

複雑な人間関係はmixiのシステムでうまい具合に管理できないというかアレ簡単すぎるし。ナタ一本で料理かよみたいな。[管理する気がないのでOKだけど]

確かにそうですね。「マイミク一本」でフラットな関係にまとめてしまうのはいささか乱暴な気がします。

その通りだけど、mixiは人間関係を円滑に楽しむソリューションだったはずでは?という疑問からmixiに欺瞞に感じて絶望してるんだと思う。まぁ、技術やシステムより運営だよね。成長が鈍化しても負の側面は説明すべき。

ふむ。期待を裏切られ絶望という。しかしそれも過剰な期待なような。普段メールや電話、手紙、対話で行っていたコミュニケーションにmixiSNS)という代替の方法が加えられただけで、それをどういう風に自分を取り巻く人間関係に取り入れていくかはユーザーが責任を負わざるをえないと思います。
負の側面ってのは最近の事件のことですかね。いろいろ黒い話がありますよね。

主にユーザー側の問題だとは思うが、システムにも改善点はあると思うな。

どんなシステムを作り上げても自分の足を撃つ人たちは絶えないと思うのですが、どうでしょうか。

mixiに絶望してる人がいるけど、絶望するべきなのはシステムじゃなくて人間関係…という話。まぁ運営が…っていう話を別にすれば、mixiが提供してるシステムはただのプラットホームにすぎないわけだからねぇ。

うーん 運営に疑問を抱いている人が多いんですかねぇ。一部のブラックな話題については小耳に挟んだ程度でよく知らんのですが。会社の運営の話も視野に入れると また違う捉え方をしないといけないかな

ていうか、ムラにはムラの人間関係、都市には都市の人間関係が形作られるように、mixiにはmixiのシステムに合った人間関係が形作られたってことじゃねっと、よく知らんので思いつきで言ってみる。

同意です。自分の生きている場とそこで展開される関係を切り離すことはできないと思います。

うおー

うおー です。



mixiが~~」ではなくて、「SNSが~~」という抽象的なレベルに引き上げて話をしたいなーと思った。二歩も三歩も先を行った会社の宿命なんでしょうか?