プログラミング、はじめの一歩はどこから

買ってみた。「どこから読んでもいい構成になってるよ」って書いてあるから、パラパラとめくって第十章「プログラミング言語入門」を読んだ。たった10ページだけど、かなり得たものが大きいな。どうやら自分は いろんな言語の比較(動的型付けvs静的型付けだったり、)のお話や、オブジェクト指向みたいなプログラミング作法のお話がとても好きみたい。

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これを読みながら 初めてプログラムなんてものを組んだのはいつだったかな?と思い出してみた。自分はどっから足を踏み入れたのか と。


確実に覚えているのはMSX2+で「8192階の塔」(?)というゲームを作ったときだったと思う。小学生の高学年になった頃かな。作ったと言っても、MSXマガジンの巻末にあるコードを一文字ずつ人差し指で入力していっただけで、単なるコピー作業なのだけど。BASICのコードが意味してるものは全然分からなかった。ほんとただコピーしただけ。

MSX2+は長男と次兄が共同購入したもので、お金を出していない自分にはいじる権利が無かった(勝手に使ってたら怒られた気がする)何年かしてその権利を得たのはもうスーパーファミコンが発売されてた頃だった。MSXはすでに引退機種で、実質部屋の片隅でガラクタ扱いされていた。何がきっかけだったのかしらないけど、押し入れの奥の埃まみれのMSXマガジンを引っ張りだして、カタカタとBASICを打ち込んだ。他にも「バレーボールのラインズマンのゲーム」なんかもコピーして打ち込んだ覚えがある。シンプルなゲームなのに楽しくて何度もやったなぁ

でもMSX持ってる友達なんていないから、ひたすらMSXマガジンのコピーと、兄たちがどこかでコピー(笑)したイースとかサークとか そんなゲームを独りでやってた。MSXのゲームはカッコいいなと思ってた。


そもそも初めて触った(見た)PCと言ったらパソピア7とかいう東芝のパソコン(マイコン w)なんだけど、当時幼稚園のわたしには動かし方も遊び方も分からず ただ兄が遊ぶ姿を眺めてた覚えしかない。やたらとピーピーガーガーと鳴るおどろおどろしい物体だ という印象が強いなー。(昔のパソコンって今みたいにGUIなんてなくて、CUIも操作しにくくて人を寄せ付けないコワい雰囲気があったと思う。)そんなマシンでFF2のバトルシーンのBGMを再現した長兄には驚くばかり。(3和音が出るんだっけ?)


父親がコンピューター販売に携わる人だったので、家の中には常にパソコンがあった。それは最新ではなくても、新しめのコンピューターだったはず。
Windows3.1より以前の時代に、ゴルフゲーム、ロードランナーテトリスシムシティを動かしていた我が家のノートパソコンは何と言う名前だったんだろう?ましてOSなんぞ知りようが無い(単にDOS/V?)。家族みんなが(母親も含め)代わる代わるゲームをしていたのは、今考えるとかなりコアGeekなファミリーだ。でも自分たちはそんなことを意識してなかったように思う。だって父親がそれで稼いでるんだから、その銭で育ってる子供が何の疑問を抱きようがあるんだろう?と。
(小学生のときに「ぼくのおとうさんはパソコンがとくいです」と作文で書いたら、先生に「×パソコン->◎パチンコ」とと赤字で訂正されてひどく傷ついた。。。仕方がない。そういう時代だったのだろう。)


一番衝撃的なパソコン(ゲーム)体験は秋田のアトリオンという複合施設の中にあったパソコンルームでプレイした「ダンジョンマスター」だった。なんだかんだいってもゲームの記憶が強い「ダンジョンマスター」のリアルタイムで動くミイラの迫力に圧倒された。10数年後、エミュレーターでプレイしたときに感動と言ったら・・・いや、もしくは初めて上京した時(中学生)に兄の家でやったディアブロも相当に影響が強い。大学に入ったら絶対このゲームやる!って決めてた。(大学に入った2000年にはすでに廃れた・・・)やりたいゲームを発見してもそのゲームを動かすハードを持って無いのはひどくもどかしかった覚えがある。

Windows3.1(95)が入ってたPCにはいろんな思い出があるけど、最大のネタといえば、ぺイントソフトのデーターの誤消去が原因で兄二人が本気で喧嘩したという話。その後二人はしばらく仲悪かった。わたしは何にも関係ありません。「PCで何が大事かって個人の作ったデーターだよ!」という昨今のWeb2.0事情に繋がる先鋭的な事件でありました。



話がどんどん長くなってそれてるな。


こういった過去の経験が今の自分に大きく影響しているかというと、あまりそうでもないように思うし、メチャクチャに影響しているようにも思う。ま でも キーボードタイピングはMSXをいじるこ内にちょっとずつ覚えていったし、一文字でも間違うとうまくいかなくてひたすらコードと画面をにらめっこするデバッグを覚えたり、ディスクはフォーマットしないといけないってことを覚えたり、マシン語なんてものがあるとかなんとかと、結果として勉強になったことは多いかもしれない。新しいPCゲームを発見してプレイしたい欲を持ち続けていたことがPCに対して強く関心を持ちづつける要因になったのかもしれない。

それと、どこの過去を切り取ってみても兄達の存在は亡霊のようにつきまとってくる。5年と、7年とを先に走る彼らのやってることは自分に取って常にカッコいいもので とりあえずそれを真似することが自分の生き方の根底にあるような気がする。(弟というのは常に幸せである)やっぱそういうハッカー的な人物が周りにいると強く影響を受けるものだけど、家族となれば尚更だ。自分が彼らを追い越さない限りまねごとは終わらないようにも思った。


・・・こうやって話す過去の話はいくらでも美化できるし、「現在の自分を構築してるものは過去に経験したアレコレなんです」 なんて話はいくらでも都合良く取捨選択できる。だから過去の話はあまりためにならないことが多いもので、他人が聞いてもつまらんものです。それを承知しつつ、いろんなことで劇的なターニングポイントに立っている今こうやって昔を振り返って文字に書き出してみて あのとき感じていたドキドキ感を衆目のおくところにあぶり出しておこうと思った。


なんか無理矢理奇麗にまとめちゃった