Moszkowski

Piano Concerto in E Major


廉価版クラシックレーベルnaxosから発売されているmoszkowski(モシュコフスキ)のピアノ協奏曲一番。

おそらくこの人も現行のクラシック界ではマイナーな位置づけの作曲家なんでしょうね。渋谷のタワレコでもnaxos以外の棚でこの人の名前を見つけられなかったです。
多くの人に知られていない→駄曲である は偽であることは言うまでも無い。あんまり有名な曲じゃなくても鑑賞に堪えうる、もしくは大作曲家と言われているような人たちの作品群にもひけをとらない って事はクラシックに限らずどんな音楽、他ジャンルの芸術分野でもありえることですよね。クラシックと呼ばれる音楽の世界であろうと、多くの美しい作品が看過されていることは否めない事実でしょう。

正当なロマン主義的ピアノが縦横無尽に駆け巡る第一楽章は、冒頭から何か聴き手をひきつける強いパワーを持っています。ロマン主義的な高貴な香り漂いながらも耽美的になり過ぎず、威風堂々とした重厚さも持ち合わせていて、うん、佳曲だと思います。


にしても このnaxosナクソスのCD帯の紹介文、ヒドイよなぁ(笑)

「ひたすら華麗で甘美にして文字通りソロが縦横無尽に駆け巡る超ポジティブ・ネアカな作品です」


正統派好きな人は敬遠しちゃうよ そりゃ。言うほど楽観的なポジティブ作品でもないような・・・光陰のコントラストが美しい曲だと思うんだけどなぁ。


以下CDレビューメモ(小生の稚拙な対訳)

Moritz Moszkowski (1854-1925)
Piano concerto in E major , op59

Breslau生まれ。ドレスデンで音楽教育を受け始め後にベルリンに移り、KullakとWuerstに師事?。
19歳にしてベルリンでピアニストとしてデビューし、フランツ・リストも賞賛を贈った。
しかし後年の彼の生活は決して幸せだったとは言えない。
離婚後二人の子供を抱えてパリに移るも娘と息子をすぐに失ってしまう。
不幸ともいえる不注意のせいでで第一次大戦中に曲の著作権を喪失するはめになり、喉の病気と飢餓に近い状態で1925年3月25日にパリで客死。

協奏曲第一番は1898年に完成したもので、Emajorでのピアノ協奏曲は幾分珍しいらしい。